【137冊目】
大人になる準備もなしに、身体だけ大きくなってしまった幼児、つまり五歳児の大人が、今の日本にはたくさんいる。
そして、心理的には幼児なのに社会的には責任ある立場に立たされて、生きるのが辛くなっている。
私自身、昔は五歳児の大人で、生きることが辛かった。
そこで五歳児の大人がこの本を読んで、自分は何でこんなに苛立ち、焦燥し、苦しんでいるのかを理解してもらえればと思っている。
それと同時に、この五歳児の大人に苦しめられている周囲の人たちに、「なぜ彼らがこれほど困った人間なのか」を理解してもらえれば、その人たちにも少しは救いになるのではないかと思ってこの本を書いた。
(本書「はしがき」より抜粋)
ふらっと本屋さん行ったらこんな本見つけてしまって、即買ってしまいました。
自分が“五歳児”なんじゃないか、と思ってしまうことがないわけでもないし、
周りに“五歳児”と思われる大人がいないわけでもない。
読みながら、様々なことを考えさせられた本でした。
「五歳児の大人」とは?
“五歳児の大人”とはどういうことかというと、一口で言えば、自分一人が生きるのに精一杯なのに、社会的責任を負わされて生きるのが辛くて、どうにもならなくなっている人たちのことだと言います。
心の成長がある段階で止まったままで、社会的に過剰に適応しているのが、五歳児の大人たちです。
勉強ができても、コミュニケーション能力がない。
やりなさいと言われたことは的確にこなすことができるが、「自分から」何かをすることはできないため、青年期、あるいは中高年になってから挫折する。
五歳児の大人は、時に真面目であるが、心はやさしくない。
「生きるのが辛い」ということと同時に、他人に厳しい。
人は、自分がしたいことをした時に、他人のわがままを許す。しかし、それを我慢させられた人は、他人のわがままを許さない。
心理的に健康な大人は、生きるのが楽しいし、他人にはやさしい。
五歳児の大人は、この逆である。
五歳児の大人たちは、心の満足がないまま社会的に適応を強いられたことで、やさしくなれなくなってしまったまま大人になった人たちなのです。
なぜ心が五歳児のままで止まってしまうのか?
なぜ心が五歳児のまま大人になっていくのか?
それは、小さい頃に「本当にしたいことをしてきたか」なのだそうです。
小さい頃、泥んこ遊びをしたいだけすれば、泥んこ遊びは卒業していく。
少年時代、たとえそれが奇妙な格好でも「したい格好」をすれば、奇妙な格好は卒業していく。
心理的に健康な大人は、何事も興味から入って、満足して、それらを卒業してきた人々である。
しかし、五歳児の大人は、すべてを我慢して生きてきた人たちなのです。
五歳児の大人を抜けだすためには
五歳児の大人を抜け出すには、まず、自分に欠けているものを知ること。
「母なるもの」を持たない母親のもとに生まれた人は、「母なるもの」を持たない母親のもとに生まれた人として生きていく覚悟を決めること。
生きていることを楽しんでいる人の生活を見習うこと。
外見を取り繕わずに、今の自分に自信をもつこと。
生きる決断をすること。
どれもが大切で心に響きます。
生きるのが楽になります。
「五歳児の大人」を抜け出したい人なと思う人は、絶対読んだ方が楽になる、そんな本でした。
ぜひ、読んでみてください!
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